おしょぶ~の~と

食レポを中心に、いろんな事を書いている雑記ブログです。

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W介護生活から就職、そして2回の介護退職までのおれの「迷い」と「決断」を読んでくれ!

2019.05.16

 

はっきり覚えていませんが、おそらく7年ほど前に遡ると思います。筆者は大手居酒屋チェーンの調理長として、広島県福山市に着任して忙しい毎日を送っていました。

 

その頃はまだ居酒屋も近年ほど厳しくなく、本当に忙しくて目の回るような毎日でしたが、根っから飲食の仕事が好きなので、苦痛ではありませんでした。

 

その日も昼過ぎに仕込みの為に出勤する身支度をしていました。シャワーを浴びて出て来て、スマホをチェックすると見慣れない人から「ショートメール」が入っていました。

 

「菅野(仮名)さん…」

名前も聞いた事がないし、だいたいショートメールでのやり取りなど、一人もいません。スマホやネット関係に疎い筆者でも、想像はつきました。

 

つまり、わたしの電話番号は知っているが、メールアドレスは知らない人で「わたしとどうしても連絡を取りたい人」からの連絡だと。

 

悪い予感しかしない…

 

内容は、短い文章で至急連絡が取りたいという事でした。後で気が付いたのですが、直の着信が何度か入っていました。シャワーを浴びていたタイミングですね。

 

実は薄々予感めいたものがあり…おそらく両親関係ではないかと?

折り返しのこちらからかけた電話には、1コールで出てくれました。

 

「メールに書きそびれまして…わたしお父様とお母さまのケアマネジャーをしております菅野と申します」

 

ほら、悪い予感はあたるのだ。

 

話の内容は、母の認知症が進んで来たので、父から相談を受けて担当についたのが、菅野さん。それから時が経ち、どうやら父も認知症の診断を受けて、二人だけの暮らしは難しいので、「息子さん帰って来れませんか?」と言うものでした。

 

みなさんもそうでしょうが、「転勤族」は「あぁ、そうですか。それでは明日帰ります」とは行かない(苦笑)。

 

しかもこの「帰って来れませんか?」には、2つの意味がある。

  • 詳しい話がしたいので一度帰って来れませんか?
  • 両親だけの生活は無理なので息子さん一緒に住めませんか?

 

まぁ、上は一週間ぐらい調整して何とかなったけどね(笑)。

全国チェーンの居酒屋で、全国転勤OK!の社員はそれだけで「評価」が高いw

 

わたしのように多少どんくさくても、そこそこ評価でそこそこの年収をもらい、安い社宅住まいなので、世間がもつイメージほど辛くないと言うか、金銭的な面では生活はすごく楽。ブラックうんぬん思う人はいると思うけど、筆者の身体は飲食向き(笑)。

 

ちょっと話がそれましたが、仕方がないので本部長に相談のメールを入れて、「地域社員」にしてもらい、なおかつ雇用保険「介護休職」の制度を使わせて頂きました。

 

事情を汲んでくれて、早く真摯に対応して頂き感謝しかありません。飲食とは言え、東証一部上場は伊達ではないな…と感じました。

当時の「介護休職」の制度は、現行より条件もきびしく・手当も少なかったが、それでもありがたかった。

非介護者と介護士

ヤマモリポテコさんによるイラストACからのイラスト

 

 

筆者の実家は神戸です。わたしのプランは、介護休職の間に我が家の介護体制を確立させて、地域社員として実家から通える範囲の店舗に復帰させて頂くと言うものでした。

 

事はわりとスムーズにと言うか、感覚的には「あれ?楽勝じゃない」と思うほどだった…実家に帰ってみると、父は思ったほどボケておらず、ちゃんと母の世話をしていました。

 

母もかなり頭はキテいたが、なんとか自力でベッドから車いすへの移動ぐらいは出来ていました。ほぼ父が母の介護をしてくれるので、介護休職明けに「地域社員」として復帰させて頂きました。

 

しかし、近くのお店は空きがなく「高槻」のお店に配属になりました。居酒屋勤務で考えれば、かなり通勤時間が長い。神戸市舞子~高槻市高槻…ドアツードアで2時間・往復4時間の通勤時間勤務となってしまいました。

 

軽い介護とは言え、介護をしながら居酒屋の長時間勤務で4時間通勤は身体と精神を痛めつけて来ました。実家に居るのに、生活が荒れだしたのです。

 

だんだん親に目を向ける、精神的・体力的余裕が無くなっていた。そして、自分でそれに気が付いていたが、改善する気持ちさへ湧きませんでした。

 

それどころか、こんなに苦しいのは「親のせい」「兄弟ぐらい生んでおけよ」などと、いま考えれば、とんちんかんな思考に入って行きました。因みに筆者は一人っ子です。

 

そんな自分的綱渡りの感じで、一年以上過ぎた頃、またケアマネージャーからメールが入りました。もう、普通のメールアドレスは交換済だったので長文のメールです。

 

すごく上手に書いてある文だった(笑)。わたしがなるべく気を悪くしないように、でも的確に菅野さんから見た、現状の我が家の事でした。

 

あんなに上手い文は書けないので、ぶっちゃけた表現でここでは書きますね(笑)。

 

息子さん!!実家に帰って来たのは良いけどちゃんと両親の事見てる?お母さんがどれ程症状が進んでいて、それを中心的に面倒を見ているお父さんが、どんな感じか分かっているの?

家がどれだけ乱れて、不潔な状態で両親が暮らしているか認識してる?お父さんが劇痩せしてるの気が付いているのー!?

 

こんな内容が、丁寧に上手い文章で書いてありました(苦笑)。

 

実は全然わかっていませんでした…と言うか、俺って介護やりながら居酒屋勤務してるの偉いな~と自己評価(笑)。

 

その間に、母は完全な寝たきりになり・父の認知症は進んでいました。ただ父の場合、昔で言う「まだらボケ」なので、まともな時はわからない…これは、筆者の言い訳でしかありませんね。

 

今だから言える事ですが、当時のわたしは余りにも「介護」と「認知症」について知識がなさ過ぎました。

もう家の現状を認識後は、「介護退職」しかないと思いながらも、迷い…決断がつかない毎日をしばらく過ごしました。

 

筆者は昭和真ん中生まれです。当時のわたしは、「正社員で働く」と言う事に非常に重き価値観を持っていました。

 

若いころは営業マンをしており、いわゆるホワイトカラーでしたが、学生時代に経験した飲食のバイトで「飲食が好きだ」と言う感覚が埋め込まれており、何となく世の中にある「社会的評価」は下がることは覚悟で飲食業界に転職しました。

 

しかし、正社員には拘っていました。今の若い方から見れば、笑われる感覚かも知れません。今の方は自己実現の為には、形に拘らないと言う人も多いでしょうから…

 

さて、そんなある日わたしに決断を迫る事が起きました。父がわたしのスマホではなく、店舗に直接何度も電話をかけてくるようになったのです。

しかも急用ではありません。

 

  • オムツがもうすぐ無くなるから買って来て
  • スパゲッティを食べようとしたらフォークが見当たらない
  • 電球が切れた

こんな感じで、このオムツなんか朝出がけに、帰りにおれが買ってくるからね…と会話していた分です。何より重症なのは、店舗に直電を入れて来るようになった事です。

 

スマホの番号ももちろん教えていますし、デカデカと電話の上にも画用紙に書いて貼ってあるんですよ!

 

  • 店舗(現場)に直電する配慮の無さ
  • 急用かどうかの判断がつかない
  • わたしのスマホの事が思いつかない
  • 自分の事だけが優先され始めている

父の頭の中はかなり、進み始めたようです。実際に「どピーク」時間帯に電話をかけて来るようになり、店舗にかなり迷惑な状態になったので…

「介護退職」を決断しました。

被介護者と介護士の体操風景

きのこさんによるイラストACからのイラスト

 

 

その後、待っていたのは「金銭的地獄」でした。

わたしはまず、父の貯金・母の貯金・少ないですがわたしの蓄えを一つの口座に集め、引き落としなどをその口座に一本化して、管理を始めました。

 

介護の問題は、「お金の問題」でもあります。

タイミング悪く、母が大きな手術を2回行い入院費が重なったこともあり、またわたしが中々「生活の質」を落とせなかったのも原因で、お金が見る見る無くなりました。

 

「お金が溶ける」とはこう言う事を言うのだな…と感じましたね。今後の皆さんの為に書き添えると、高額なった医療費が返ってくる制度がありますが、直治療に関係する分だけですからね。

 

例えば入院になると、差額ベッド代や食事、そして母の場合はオムツ代などかなりかかりました。神戸市は在宅介護ならオムツは補助が出ますが、入院時は対象外でそこの病院の出入り業者の料金がバカ高いと気が付いたのは、遅くて後の祭りでした。

 

どれぐらい我が家が窮したかと言うと、「生活保護の申請が頭に浮かぶ」ぐらいと言えばイメージして頂けるでしょうか…

 

さて、そんな中朗報が届きました。特養の順番待ちで「母の番」が来たと言う連絡です。これは、本当にうれしかったですね。

何が嬉しいか…ぶっちゃけて言うと「寝たきりの母の世話」から解放されるのと、金銭的に大きいのは、わたしが働きに出れる事です。

 

父は頭はボケていますが、身体はマシでトイレも自分で出来ます。それと、専業介護をしている間に、過去の経験を生かして「父の介護体制」は割とスムーズに構築出来ておりました。

 

週4回のデーサービス(夜ごはんも付く)と週2回のヘルパーさん派遣がベースにあるので、母が入所すれば「残業の無い仕事」なら働けるとずっと思っていたんですね。

 

これが現実となり、母は入所してくれました。特養なら費用が安いので、母の年金で母の生活は足ります。そこで、母の年金は直で施設に入るようにしました。

 

そしてわたしは、残業が無い仕事として「マンション管理人」を見つけて職に就きました。非正規の契約社員ですが、もうその頃は何も気にならなくなっていました。

この少し前ですが、実はブログを始めたんです(笑)。これも「決断」と言えば「決断」ですね。

 

ブログで介護の発信を始めて、いい加減な事は書けないのでどんどん介護の知識が入って来ましたし、ブログを書く=アウトプットなので更に理解が深まると言う好循環に入って行きました。

 

お金も好循環!(笑)

管理人の給料は安いですけど、安いなりにも毎月一定のお金が入って来ると言うのは、デカい事と改めて認識しました。

 

それともう一つ、これ「神様からの贈り物ではないか」とマジで思っているのですが、「ブログで収益をあげる事が出来る」と知りました。

そんな事は知らないで、ブログを始めたのですが「はてなブログ」は色んな方と交流出来るので、その知識が入って来ました(笑)。

 

これには驚きましたね~(笑)

特にグーグルアドセンスと言うシステムには驚きました。

これは「迷い」は無かったですね(笑)。「決断」だけ!

 

そのブログ収益用に始めたのが、今読んで頂いている「おしょぶ~の~と」と言う雑記ブログです^^

まぁこんな感じでおじさんが始めたブログですから、夢のような金額は稼げていませんが、「家計の足しになる金額」ぐらいは稼げるようになりました^^

 

これで我が家は、父の年金+わたしの給料+ブログ収益で、それこそ急速に家計が改善されました。

介護スタッフさん達

春雪さんによるイラストACからのイラスト

 

 

それから3年の月日が過ぎました。

そして、今回も「迷い」ながらも2回目の介護退職を「決断」しました。

 

決断した理由は…

  • 父の認知症が進んだ
  • 施設の母の様態が安定しない
  • 経済的危機が緩和された

などがありますが…

一番大きな理由は、わたしが介護をしながら仕事に通う事のストレスが上限に達したと感じたからです。

 

この3年間、介護ブログを書くことで、かなり知識がついて来ました。介護家族が一番陥ってはイケないこと、それは…

「介護の共倒れ」

です。

 

「介護殺人」・「介護心中(自殺)」・「介護鬱」の沼に入ってしまう方は、わたしが思うには、いい加減で親を粗末にする人ではありません。

責任感が強く、親思いで、他人や社会に頼るのは申し訳ない…なんて考える非常に一般的善人が多いと考えています。

 

それが、自分を追い込み「共倒れ」の道に進むのです。

そこで、わたしは「決断」しました。もう1回目のように「追い込まれての介護退職」はしないと…

 

計画的にお金を貯めて、わたしがしばらく仕事をしないでも(そうですね~^^半年~1年ぐらいでしょうか)、家計が破綻しない体制をつくりました。

 

ですので、また半年~1年したら働いて、またしんどくなったら辞めます(笑)。

もう、コンビニでもマックでも、日雇いでも何でも良いのです^^

親が天命を全うするまで面倒が見れさえ出来たら良いと言う、ライフスタイルと言うほどカッコの良いものではありませんが(笑)。そんな感じです。

 

幸い?労働人口が減っていて、ふらふらしているおじさんでも、選ばなければ仕事はありそうです。この生活を始めて10日ほどですが、いまのところ不安感もなく機嫌よく生きていますよ(笑)。

 

今回はたまたま、「はてなブログ」さんと「りっすん」さんのコラボで、「迷い」と「決断」のブログコンテストがあると知り、ぜひ介護家族さん達にこの「介護共倒れ」防止の考え方が届けばと応募させて頂きました。

 

この長文を最後までお読み頂いたのなら、感謝しかございません。

by おしょぶ~