おしょぶ~の~と

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平成天皇最後の会見「国民に感謝と戦争なく安堵」。ほんまそうや!…おしょぶ~のコラム⑩

2018.12.23

 

どうも、おしょぶ~^^/です。

今日の天皇誕生日を迎えられる前に、恒例の天皇陛下による会見が行われました。

宮内庁によると、今後退位されるまで会見の予定はなく、おそらく平成天皇としての最後の会見になります。

 

皇居・宮殿で行われた会見に臨まれた陛下は、お顔の色もよく、ふくよかな感じで一時心配された体調不良も感じさせない威風で、安心しました。

 

ちょっと、周りの気遣いが足りなかったな~と感じたのは、陛下が一礼されて少し間が空き、座ろうとされた時に記者会監事のNHKの方が祝辞を話はじめて、陛下が中腰からまた立たれる動作で、負担になったと思います。皇室会見の間は独特で、確かに難しいとは思いますが…

 

まず最初に述べられたのは、今年の災害についてです。今年は本当に、台風と大雨にやられた年で、多くの方が亡くなり・生活基盤が壊された事に対する想いを話されました。

 

この時、陛下自身が「一番最初の被災地訪問」のエピソードを語っておられます。昭和34年、昭和天皇の名代として「伊勢湾台風」の被害地域に訪問されています。

とすると、それから59年ですか…長いですね。

 

その後、退位までの天皇のお立場としてこう言っておられます。

「憲法で象徴と位置付けられた天皇の望ましいあり方を求めながら、日々の勤めを行っていきたい」

 

これ、すごく印象に残りました。言葉通り読み取るなら「まだ道半ば」と言う事ですね。戦後、天皇は「象徴」となりましたが、在位期間を全て象徴として過ごした天皇は平成天皇が初めてですので、手探り状態だったと思います。

 

会見は続きます。陛下の会見で、「あ~そう言えば、そう言う時間軸で世の中が動いていたな~」と記憶をたどりました。

 

東西冷戦構造の中、平成はスタートしたわけですが、元年の秋にベルリンの壁が壊され東西冷戦が終焉を迎えた…少しずれているものの、新しい世界の価値観と平成は同時スタートの様な感じだったんですね。

 

その時、陛下はこれで戦争が無くなるのではと期待したが、望んだ様には進まなかった…と言うような趣旨のお話をされています。民族紛争・宗教対立・テロ・難民問題…に心が痛むと言っておられます。

 

11歳で終戦を迎えられた陛下は、その後の政治情勢や皇室活動について語られましたが、領土の返還についても「年度」を添えてお話されています。

  • 昭和28年 奄美群島復帰
  • 昭和43年 小笠原諸島復帰
  • 昭和47年 沖縄復帰

筆者は、43年は幼過ぎて覚えていませんが、47年の沖縄はすごく記憶に残っていますね。陛下は「沖縄」には特に思い入れがあり、11回訪問されています。

しかし、その後の領土問題は…

 

今回の会見では、陛下が感極まった…と言う表現でいいのか分かりませんが、声を震わせる場面が何度かありましたね。

特に戦後70年を超える今日の平和が、先に失われた多くの人命…犠牲とその後の国民の努力によって築かれたと言うくだりは、激しく声を震わせておられました。

 

「平成が戦争のない時代として終わろうとしている事に、心から安堵しています」

ほんと、みんな違法以外のどんな生き方をしても良いから、平和だけは守っていこうな!

 

戦争の次は災害に触れられます。

  • 平成3年 雲仙普賢岳噴火
  • 平成5年 北海道南西沖地震・奥尻島津波被害
  • 平成7年 阪神淡路大震災
  • 平成23年 東日本大震災
今年も含め、平成は災害の時代でしたね。
 
あとは、災害から生まれたボランティア活動の活況、災害時の規律正しい国民の行動について述べられ、障がい者や困難を抱える人に寄り添う皇室の想い・障がい者スポーツの発展などを話されました。
 
次に大きく声を震わされたのは、皇后陛下への想いを語られる場面でした。普通の人々で言えば、奥様や旦那様への想いですね。4月に結婚60周年をお迎えになるそうで、お喜びを申し上げたいです。
 
ここは、皇室を受け入れている多くの国民への感謝と、その活動を長きにわたり支えてくれた皇后陛下への労いに多くの時間を割いて話されました。ぜひ、原文でお読み頂きたいです。
 
「天皇として旅を終えようとしている今、象徴としてのわたしの立場を受け入れ、支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」
 
 
個人的にはすごく良い会見でした。筆者の立ち位置は「皇族存続派」ですが、意見として「皇族廃止」があるのも一つの見識として十分理解出来ます。
多くの税金を使っている事も事実ですし、政教分離も怪しい部分もありますから…
 
でも、まだ多くの国民は必要としていると個人的には感じています。なにより、陛下は85歳まで現役で仕事をしてこられた、一個人とみても尊敬できる方なので、皇室反対派の方も、ここは素直に労ってさしあげて頂けたらと思います。 
 
※宮内庁プレスリリースの原文を載せておきます。

問 天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え,皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに,いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。  

 記者会代表幹事の質問より

 天皇陛下

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終(えん)を迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安()しています。

そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来(じらい)この伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から(ねぎら)いたく思います。

そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。